ドナー(提供者) レシピエント(受取人)
私達夫婦は、平成30年12月14日に
腎臓移植手術を受けました。
素晴らしい体験をする事が出来たと
感謝しています。
一方、多くの腎不全末期の方々が
移植に関して詳しい情報がないまま
透析生活を送っている事を知りました。
透析か腎移植か、
いずれを選ぶにせよ、確かな情報を得たうえで決断してほしい。
そんな思いで、私達の体験を公開する事にしました。
●時々体がきつい。と言って横になる妻を見て、身体が弱いな~と感じていた
少し鍛えて、強くなる方法はないかな~。などと考えていた。
●耐え切れず寝込む妻に対しては、私なりに優しく世話をしていた。
●昨年来、月単位で寝込むことも増えて来ていた。
それでも、知識の無い私は、
妻の疲れやすい原因が、
腎機能の末期的症状として起こっているとは、
気づくことが出来なかった。
そんなある日
●係り付けの医師に、
腹膜透析か透析のどちらにするかを聞かれた。と妻が話をしていた。
●妻と娘が話し合って、ギリギリまで待って、覚悟して透析を開始しようと言っていた。
●『移植』が出来るのなら、やるよ。と私が声を掛けたが、
それは考えない。との妻の返事。
血液型も体質も違うので無理なんだろうと思い。私も引き下がった。
数日が経ち
● 一応『腎臓移植』についてチェックしておこうと思い立ち、
・・・ネットを検索した。
●幾つかの大学の先生の記事を読み込んでいくうちに、
・・・希望が湧いてきた
●血液型の違いや体質の違いはネックにはならない。
●費用は、さほど掛からない。ほぼ負担はない。
●レシピエントの腎機能は回復し、ドナーの余命に影響もない。
●概ね70歳くらいまでは、可能である。それ以上の高齢者もいる。
●九州沖縄では、九州大学病院が図抜けた実績を持っている。
※腎臓移植手術・腎臓移植九州・腎臓移植誤解・・・・・などで検索しました。
例え、この記事の通りでなくても、
チャレンジする価値はある。
ここは、信じてみよう
●本当は、望んでいたのだろう。妻は、俄然やる気になった。
●妻は、月に1度診察の為、産業医大若松病院に通っていた。
●9月の診察の時点で、次回10月の診察日には、
移植について、主人と相談に来ることを担当医師に伝えさせた。
本当に良いのね
●私は、その後も、追加の腎臓移植に関する情報を収集していた。
①移植に進む場合、早めに障害者手帳を取得しておいた方が良い。
②障害者4級までは、自己負担が3割だが、3級以上になると1割負担になる。
③透析患者や移植患者は、無条件で障害者1級となる。
④障害者手帳の発給には、役所の福祉課で診断書 と申請書の用紙をもらう。
次に、役所で貰った診断書を病院に持参して、
腎臓機能を判定する権限を持った医師の診断書を依頼する。
診断書が出来たら、役所で障害者手帳の手続きをする。
⑤ドナーの余命に影響を与える可能性がある場合は、手術はできないらしい。
⑥ドナーは1週間程度、レシピエントは1カ月程度の入院になる。
⑦自己負担分についても、国の制度で免除されることがあるらしい。
⑧九大病院の腎臓移植患者の自己負担金は、0円から4万円程度
障害者手帳を取る手続きが必要だ
3級か4級かで自己負担が違うのか
2級か3級だったら1割負担か
出来たら3級が良いな~
4級だと3割負担か~・・・
国の支援制度って何だろう。
自己負担分を補助してくれると書いているけど・・・
1割にしてくれた上に
そんなうまい話はないだろう
本当だったら助かるけど・・・
●10月15日役所で腎機能に関する診断書を貰った上で、産医大担当医に面談
→移植を希望します。→では、九州大学病院に紹介状を書きます
●診断用紙を持参したのでお願いします。→担当医に診断書の手配をします。
●診断書の作成には、10日程度を要します。出来たら連絡させます。
●九大病院から後日連絡が入るので、それに従ってください。
いよいよ動き出したわね
●10月19日九大病院移植コーディネーターから連絡が入る
●10月23日に食事を取らずに、2人で来院する様にとのこと
●23日8:30に九大病院へ
→受付の方、看護師の方、その他のスタッフ、担当医らしき方から
それぞれに詳細な説明を受ける。
●レシピエントさんの拒絶反応を防ぐため 免疫抑制剤を一生飲んでもらいます。
●感染症に掛かり易くなります。
●ガンも発症し易くなります。
●眠っているウィルスが起き上がって来て悪さをすることがあります。
●沢山の検査を受けてもらって、ドナーの余命に影響を与えると 判断した場合は、取止めにします。
●移植可能かどうかの結果は、1次検査で判ります。
ただし、確定までは、まだまだ検査が必要です。
●検査は1次から3次検査まであるとのこと。
●第1次検査は、今日でも出来るとの事で お願いすることにした。
①妻:血液試験管8本採取、尿検査、呼吸器検査等々
②私:血液試験管7本採取、尿検査、呼吸器検査等々
●次回は、妻のみ11月20日に2次検査の指示
●11月27日は、2人で検査の指示
●九大病院の検査の他に、外部の病院各科の診断書取得の指示がありました
ギリギリですが、移植は可能ですよ。
良かった~
●10月26日産医大より腎臓の診断書ができたとの連絡が入る。
●10月29日二人で産医大に行き、腎臓に関する診断書を受取る。
中を覗いてみると予想外の障害者1級だった。腎不全の末期と書いてある。
●その足で、役所の福祉課へ障害者手帳の申請に行った。
→障害者1級の本人が来たとの事で、担当者も驚いていたが、
熱心に説明してくれた。
→手帳の発行には、3週間以上かかると言われた。
●高齢・障害者相談コーナーの担当者が、
後期高齢者医療に加入して、
重度障害者支援制度を受けるよう積極的に段取りしてくれた。
→重度障害者医療費の助成制度とは、市が保険診療の自己負担分を助成する
制度だと言う。
→後日、重度障害者医療証を発行するとの事だった。
障害者1級よ~
まさかの障害者1級・・・
そんなに悪かったのか。
●平成30年4月から、他の公費医療(自立支援医療、小児慢性特定疾患等)の 適用を
受ける場合でも、病院や薬局で重度障害者医療証をご提示いただければ医療費の助成を
受けることができます。
●【重度障害者医療を受けられる人】
重度障害者の健康の保持及び福祉の増進を図る為、
保険診療による医療費の自己負担額を助成する制度です
対象となるのは、市内に住所を有し、健康保険に加入しており、
身体障害者手帳(1級または2級)、療育手帳(A表示)、
精神障害者保健福祉手帳(1級)の交付を受けている人です。
但し、生活保護を受けている人
及び65歳以上75歳未満の人で後期高齢者医療の被保険者でない人、
前年の所得(1月~9月に申請する場合は前前年の所得。)から一定の控除額を
差し引いた額が、次の所得制限限度額以上である人は、
この制度を受けることができません。
●【助成の範囲】
医療費のうち、保険診療による自己負担額を助成します。
薬局での自己負担もありません。
●妻67歳の場合は、
後期高齢者医療制度の65歳以上で一定の障害認定を受けている人と言う取扱いで
対象者になることが出来ました。
●私は、たまたま今年の1月に大腸検査、4月に胃の検査を受けていたので、
病院に連絡して診断報告を出してもらった。
●11月7日妻を産医大に送って、私は、仕事先へ
→妻の大腸検査の終わる頃、再び合流
→妻は、引き続き乳腺など受診
●翌日から妻は、眼科・耳鼻科・歯科・婦人科と精力的に動き出した。
どんどん、検査して貰おう
●11月20日第2次検査の妻を九大病院まで送り、
私は、福岡労働局へ行った。
●この時点では、手術は、年明けの1月か2月を予想していた。
●九大病院から戻った妻は、12月に成りそうよと言う。
●外部の検査も揃っているし、容体も安定しているので
今のうちにやるかと先生が言ってくれたとの事。
年明けをかんがえていたが、12月とは・・・
しかし
年内に退院まで行ければ、最高かも・・・
●障害者手帳が出来ているとの連絡で役所に行くと、
担当者がこの手帳の効果等に付いて丁寧に説明してくれたとの事
●障害者用のETCカードや既存の医療費の返還に係わる手続など
担当者が全部やってくれたと、大喜びして帰って来た。
●高速の使用に、障害者手帳が使えるようになったので使ってみた。
安い半額。
●私は、まず放射線科に行って、その後レントゲン検査、再度の血液検査
→今度は、6本採取された
●妻は、別行動で検査していた。
午後の2時頃検査が終了したので、1階のレストランで食事をした。
●その後、かなり待って医師の面談があった。
●受付の方から帰る前に1階の公費相談の窓口にいくようにと言われていたので、
公費相談窓口に行った。
ここでも障害者1級と言う事でびっくりしていた。
●公費相談担当の方がその場から若松区役所に連絡して、
更生医療の手続きを してくれた。
医療費の自己負担分が助成されるとのこと。
制度の主旨は、重度障害者医療費支援制度に似ているが
これとは別の制度ということだった。
●いよいよ医療費の自己負担やお薬代が免除される事が現実化してきた。
●何かすべてが上手く回転している様で、ルンルン気分で自宅に戻った。
●更生医療の概要
更生医療は、身体障害者福祉法第4条に規定する身体障害者で、
その障害を除去・軽減する手術等の治療によって、
確実に効果が期待できるものに対して提供される、
更生のために必要な自立支援医療費の支給を行うものです。
●自己負担額
通常、医療保険では、医療費の自己負担は3割ですが、
本制度を利用した場合、自己負担が原則1割になります。
ただし、本人の収入や世帯の所得などによって、1ヶ月に支払う自己負担額に
上限が設定されます。
この制度の「世帯」とは、住民票上の世帯ではなく、同じ医療保険に加入している
家族を同一世帯とします。
●助成の期間
原則3か月以内。
医療の内容によって最長1年まで認められるものもあります。
有効期間が終了後、再度の支給認定を希望する場合は、有効期間終了前に申請が必要と
なります(例:「人工透析療法」等で治療が長期間に及び場合)
●私は、血流検査、尿検査、CTスキャン、心臓エコー検査等々
→心臓の一部に動きの悪いところがあるとのことで、
今度は、詳細な心電図をとりながら、傾斜をつけた歩行マシーンに乗せられ、
速足、大股速足などをしながら血圧、心拍数などを計られた。
→結果は、心臓が縦に長いが、特に問題ないだろうと言ってくれた。
●妻は、別行動で検査していた。
●二人の検査終了後、担当のDrが面談してくれて、
検査の結果と今後の日程を説明してくれた。
●個室を希望していたが、空きがないとのことで、妻は、4人の大部屋に入った。
●その後、個室に空きができたとのことで、個室に移動となった。
●入院してからも、様々な検査があり、
10日、11日は、それぞれ約3時間かけて血漿板交換が行われた。
12日は、輸血で血液の不足を補充したと言っていた。
さらに、13日は、3度目の血漿板交換があったらしい。
個室に入れるよ~
【血漿板交換】
レシピエントの血液を抜いて血漿分離機に入れ、
血漿板を赤血球・白血球等と分離して血漿板を廃棄し、新しい血漿板を加えて体に戻す。
※移植による拒否反応を引き起こす抗体が血漿板の中にあるので除去するらしい。
●入院手続前に妻の部屋に寄り、それから手続きをして6階の大部屋へ入った。
●色々なスタッフが入れ替わりでやって来て、
名前と役柄を名のり様々な処置をして去ってゆく。
→想像以上に業務がシステム化されており、看護師等の数も多い。
→スタッフのそれぞれが誇りを持って、業務に従事している事が伝わって来た。
●14:00担当医師が妻、私、娘を打合せ室に誘導して詳細説明してくれた。
●翌13日には、手術日の朝からの流れを丁寧に説明してくれた。
→朝7:30にドクターが車いすで迎えに来て、手術室へ移動する。
→私の手術は、8:00に始まり、妻の手術は、9:00に始まる。
→手術は4時間程で正午には終わる。妻は夕方までかかる。
→手術後私は、9階の大部屋へ
→妻は、ICU集中治療室で一晩過ごし、翌日から9階個室に入るとのこと
術後は、ICUで一晩、その後5日間は個室に入ることが決まっているとのこと
●手術前の限られた時間、妻の部屋にゆき、軽く談笑して部屋に戻った。
●いよいよ明日です。
いよいよだな
●6時には、照明がついて起床を促される。
●7時に、担当の看護師がやって来て、躊躇なく浣腸をされた。
→排便に時間がかかっては、同室の人に迷惑だろうと思い、
少し離れたホール沿いのトイレに行くとそのまま排便
→一気に出し過ぎたのがいけなかったのか、気分が悪くなりだした。
→しばらく我慢していたが吐き気がする。
勇気を出してナースコールした。
→すぐに看護師さんが来て、戸の外から名前を聞かれた。
→名前を言って戸を開けると、看護師さんは、4.5人に増えていた。
→車いすが用意され、自分の部屋に戻る
途中血圧は70の40と聞こえた。超低血圧に陥っている様だ。
→これが原因で手術が伸びたら、妻は何と言うだろう、とか思った。
→入院前日には差歯が取れ、手術当日は、脱水症状・・・とほほ
●しばらくして看護師の連絡を受けた女性の医師が来て、様態を見てくれた。
●その後は、幸い早めに落ち着いて来た。そのまま、担当のドクターを待った。
●7:30ドクターがやって来た。車椅子に乗せられ、手術室に向かう。
●関係者用エレベーターで降りて、手術棟に到着した。
●思いのほか広いスペースに、既に沢山の人達が居て、
それぞれ役割が分るように 色の違う服を着て活動していた。
グリーン、オレンジなど数人ずつの塊が居て、役割分担している。
SF映画の研究室か工場の映像でこんな状況を見たような気がした。
●手術室は、ホールに面して何と20室もあり、誘導案内する係の人もいた。
●手術室に入ると医療器具の並ぶあの光景に沢山のスタッフ
●車椅子から手術台に移されると、
スタッフが一斉に取り囲み色々なモノを私に繋いでいる。
それぞれのスタッフが名前と役割を言ってくれるが、覚える余裕などない。
●麻酔科のドクターが、始めるとすぐに眠くなりますよと説明して
『 始めますよ』と声がしたのが最後で、 その後は記憶もなくなり、
『終わりましたよ。』と、男性の大きな声で起こされた。
既に私の腎臓は、取りだされたのか。
ア~も、ウ~も、ないです。
●手術後、9階の大部屋に戻ってくるまでの記憶はない。
●気が付くと結構ぐったりして疲労感を感じながらベットの上。
少し吐き気がする。
●色々なモノに繋がれている様だが、体を動かす事も出来ず何も判らない
→酸素マスク、点滴、麻酔、血液抜きの管、排尿の管、足の圧縮器
等々だったようだ。これに血圧計、体温計が加わる。
●何人かの看護師、数人の麻酔科のDrなど入れ替わり立ち代わりやって来る
→麻酔は強すぎると吐気をもよおし、弱いと痛みが出る。
微妙なバランスがいるようだ。
→この手の手術には、麻酔科のDrは、重要だと再認識した。
●看護師さんは、夜の時間帯は、2時間おきに巡回してくれる。
そこにナースコールが入ると臨時で様子を見に来る。
何かあれば、その都度処置をして戻ってゆく。
私の所にも来てくれる。
●相部屋の人が、用足しに立つ。枕灯をつける。足音がする。
●意識があるのかないのか、判らないままに眠れない夜が過ぎていった。
●酸素マスクを外すと言うので、吐気がしないか不安だったが問題 なかった。
マスクを外しても呼吸が出来る。
徐々に楽になって行っている気がする。
●朝も昼も夜もいろいろなスタッフがやって来る。
優秀なスタッフが、十分な報・連・相で連携しているのだろう。
皆、やさしい。
久しぶりに白衣の天使と言う言葉を思い出した。
食事→一般食の朝食が出た。マジか。食べれる訳ないし。
食事を片付けに来た人が、食べなくていいかと聞く。いらない。
おなら→お腹の中をガスがうごく。肛門に近づく時もあるが出てくれない。
傷に近い所を動く時は、圧力がかかって少し痛む。
午後になって、わずかに漏れる様なおならが出始める。
少しのおならが出るだけでも、嬉しい気がする。
排尿→管に繋がれた状態で、垂れ流しなのか、出ている感触も判らない。
管がどうゆう風に繋がっているのか想像するが分らない。
排便→まったく気配なし
●朝一は、体温と血圧の測定から始まる。どちらも高い。
●むくみ防止の為の足の圧力器が外される。窮屈なソックスも外してくれた。
●午後の時間帯、膀胱を空にして排尿菅が外される。
一瞬漏れたような気がして看護師さんに誤った。
看護師さんは、普通に処置してくれる。
何か外すごとに、楽になる気がする。
●排尿の管を外すとゆうことは、自分でトイレに行かなければならない。
眠っているときに、粗相しないか心配だ。
●トイレに行きたいときは、ナースコールして看護師さんに来てもらう。
それから体をひねって起き上がり、尿を計量カップに採り、量を測る。
●ナースコールに手や体が触れてしまい、間違いコールをする。
恐縮して説明する。
●点滴をしているので結構出る。2時間ごとに400㏄は出る。
眠りかかったところでトイレに行き、戻って眠れないままに、又トイレに立つ。
結局一睡もできないまま、朝になった。
●この日の夜は、本当に辛かった。
もうこんな時間は、過ごしたくない。
食事→朝・昼・晩、時間になると、食事を運んでくる。
手を付ける気にならない。
食事を片付けに来た人が食べなくていいかと聞く。
今日もいらないと答える。
おなら→わずかに漏れる様なおならが時々出る。
へたっていた腸が動き始めたのか。
少し力の入ったおならも出始める。
マズローの欲求5段階説。
生理的欲求とは、このことか。
排尿→点滴のせいか、2時間おきに400㏄は出る。
もともと長い方だったのに、トイレが近くなった気がする。
排便→今日も気配なし
なんと幻覚か
何かおかしいと思ったら、目をつむっても瞼を通して何かが見えている。
病院だし何かあった部屋なのかと考えたが、怖くはない。
人の姿や動物というより怪物、森、山、海、近づいていく映像、遠ざかる映像
これらが昔の活動写真のコマ送りの様に、次々と高速で変化していく。
目を開けると消え、閉じるとまた映画のようなスクリーンが始まる。
樹木の緑、海の青、宝石をちりばめたような鮮やかなカラー
この話を後で娘にしたら、
手術で何かが覚醒して見えたのだろうとのこと。
●朝一は、体温と血圧の測定から始まる。
今日は血圧が高く起き上がるとふらつく
●看護師さんに体重を測る様に言われ、ナースステーションの奥で体重を測る。
ひょっとして太っているかと思いきや痩せている。75㎏ない。
●昨日看護師さんが食事が完食できるようになったら、点滴をはずすと言っていたので
今日こそは、食べるぞと思っていたが、朝食は食べられない。
牛乳だけでもと思い、少しづつ牛乳は1本飲んだ。
●お昼前に担当のDrが来て、血抜きの為の管を抜いてくれた。
また一つ取れた。
●この日の昼食は、点滴を外してほしい一心で頑張って7割方食べた。
●男性看護師が私が食べた跡を見て、これなら点滴が外せますよと言ってくれた。
Drを探したが見つからないので、自分の責任で点滴を外します。と外してくれた。
● 血抜きの管と点滴もなくなって、残りは麻酔用の注射針だけとなった。
●この看護師が妻の所に行っていいですよ。と言ってくれたので
妻の部屋に行った。
少し上気してむくんだ感じで横たわっていた。
まだ、沢山のモノに繋がれている。
●朝一の体温と血圧は、今日も高い。
しばらくすると落ち着くのだが175もあった。
●朝食が来た。手術後食事が初めて美味しいと感じた。
昼も夜もこれ以降は、完食した。
●おならも出る回数が増えてきた。よしよし。
●排尿は、点滴中くらいの量に逆戻り、結構出る。
●便をもよおして2度座ってみたが出ず。
3度目にフロアー横のトイレでついに出た。
●麻酔の注射も外され、痛み止めの錠剤を6時間ごとに3錠飲むように言われた。
●繋がれるものがなくなって、自由に歩ける。
●妻の部屋に行ってみると
鼻からの酸素の管と血圧と脈拍を常時表示する器具が外されていた。
話もだいぶん出来るようになっていた。
●久しぶりにシャワーも予約してもらい入ることができた。
●通りがかりにDrに合ったので、妻の腎臓病について聞いてみた。
手術以来腎臓の治療はしてませんとの答え、
つまり腎臓病はなくなっている。
この時まで、移植後も腎臓病の症状が残るような気がしていた。
治ったんだ。
●血圧が下がっているような気がして期待したが、下がってなかった。
まだ高い。
●食事、おなら、排尿、排便の生理現象も通常に近づいている。
●目を閉じてあの映像をみようと試みたが、もう現れない。
●Drが看護師と採血にやって来た。
検査に廻して、問題がなければ退院できると聞かされる。
●妻と娘に今日、明日の内に退院になりそうだとメッセージ送信。
ふたりから祝福の返信が来た。
●夕方、Drが来て、検査の結果は悪くなかったので、退院は何時でも良いと言う。
明日で良いですか。と聞くとOKとのこと。
●退院日が、20日で確定した。
娘に明日の迎えを依頼。
妻にも報告した。
●朝の血圧と体温の測定は、今まで通り。
●食事をして、退院の指示を待つ。
●薬剤師さんが退院後の薬の説明に来た。
●事務の人が、退院の書類を持ってきた。
●担当Dr、麻酔科のDrが来てくれた。
●男性の看護師さんが、傷口の防水用シールを剥いでくれた。
●看護師さんが、退院の準備が完了したらコールするようにとのこと。
衣類、小物等を片付けてコール。
看護師さんがチェックすると忘れ物だらけ。
●妻の個室に移動して、荷物を置き退院の手続に1階へ
もどって来たら、看護師さんが更に忘れ物を届けてくれていた。
●娘が到着。親戚も退院祝いに駆けつけてくれた。
元気で良くしゃべる私に、親戚もビックリしていた。
●娘の車で自宅へ直行。
娘に術後ハイになっているよと言われた。
●久しぶりの我が家は、やはりいい。
湯船につかって温まり、恐る恐る焼酎のお湯割りも飲んだ。
●翌日からは、朝は、トーストにバナナ。お昼は、娘が来てくれる。
夕方には、イオンで晩御飯のおかずを買って一人で食べた。
●お取引先、友人、知人に無事退院のメールを送った。
●27日には、妻が退院と言う事で、娘の車で迎えに行った。
部屋に入ると既に退院支度した妻がいて、
薬剤師さんの説明を聞いていた。
●退院の手続きを済ませ、娘の車で自宅に戻って来た。
途中、やよい軒の定食を食べた。
妻は、長らく食べられなかった
野菜サラダを美味しそうに食べていた。
●お取引先、友人、知人に妻の退院の報告メールをした。
●あとはこのまま回復して行くのを待つだけだと思っていた。
●28日の朝、妻・娘と一緒に食事を取ったところまでは、普通だった。
●朝食後しばらくした所から、30分刻みでトイレに立った。
放尿の度に、ズーンと痺れるような痛みが走る。
何度目かに、何かおかしいと思い、流す前に便器を見てチョットビビった。
血のり混じりの出血をしていた。
●二人は膀胱炎を疑った。
特に治療しないでも治る様な事を言っていた。
担当医にも電話したが、未だ熱が出る前だったこともあり、
同じ意見だった。
●28日の午後3時頃には、血尿はなくなった。
しかし、排尿痛はきつい。
夕方までは、30分毎に排尿。
熱も7℃台に上がってきた。
その後は、1時間毎にモヨオシテくる。
熱も7度9分から下がらない。
そのまま、29日の夜まで続いた。
鎮痛剤に解熱効果があるのではないかと、娘が言うので、
すぐ飲んだ。
その後、2時間くらいもつ様になり、熱も36.6まで下がった。
これで治る。と思った。
●30日の昼過ぎから再び熱が上り始めた。
夜には、37.9度に戻った。
もうダメだと思い救急車で産医大に運んでもらった。
●産医大のDrの見立は、前立腺炎だった。
膀胱炎は熱がでないと言われた。
●点滴で抗生物質を打ってもらい、深夜3時頃に自宅に戻った。
しかし危なかった。敗血症の危険があったと言われた。
●31日朝、熱は37℃位に下がってきた。
排尿痛はやや和らいだがまだある。
●正月1日かなり楽になって来た。もう一息と思った。
●正月2日排尿痛も取れてきた。抗生物質のお蔭だ。
●正月3日ほぼ直って来たが、念の為この日も抗生剤を飲んで寝た。
●正月4日朝、直ったと感じた。
●前立腺に細菌が入ったのは、不注意にも湯船に浸かったからだと思う。
しかも、 乾燥肌には良いかなと安易な気持ちで、換え湯をせず足し湯に入った。
●私の体調も何とか直り、2人で九大病院に向かった。
未だ長距離の運転は自信がなく、折尾から特急で吉塚へ
●私は、血液検査と尿検査。妻は、
その他いくつかの検査をして医師と面談。
●二人とも順調。ドナーさんは年1のドナー検診を受けてください。
レシピエントさんは、当面週一で検査に来院して下さいとのこと。
●妻は沢山の薬をもらい、その後二人で食事をして、快速電車で帰宅した。
妻は、術後の3・4ヶ月が免疫力が落ちており要注意。
概ね、週一の通院に成る。
その後は、免疫抑制剤の量も減り、
徐々に免疫力は回復してくるとのことで、
通院スパンも伸びてくる。
術後1年目の検査で問題がなければ、
その後は、月一の通院で良いとのこと。
取りあえず、1年間は、無理は出来ないな。
私は、年1のドナー検診で良いとのこと。
●腎臓が末期状態に陥ったときには、透析しか方法はない。
●体質・血液型の違うものからの腎臓移植は出来ない。
●大変な手術であり、莫大なお金も必要となる。
●腎臓を提供したものが、健康にダメージを受けるのではないか。
●自分に腎臓を提供してくれるものは、いない。
これらの漠然とした思い込みが、腎臓移植と言う選択肢を奪っています。
私共は、幾つかのキッカケが重なり、移植手術を選ぶことが出来ました。
とても幸せなことだったと考えています。
私は、今回の経験を、
少しでも多くの皆さんに伝える義務があると感じています。
●移植にはドナーが必要ですが、
『腎臓を頂戴。』とは、身内でも中々言えません。
しかし、『頂戴と言われたら提供したのに・・・』
『自分でも可能だったのなら提供したのに・・・』、
そういう方は居るかも知れません。
●移植が全て良しとは言えません。一定のリスクは覚悟しなければなりません。
しかし、多くの腎不全末期を迎えた方が、
透析か移植かの選択を迫られたとき、
移植については、よく分らないまま透析を選択しているのが現状の様です。
●この期に及んでと思われるかも知れませんが、
私は、『腎臓移植』だけを推奨しているのでは、ありません。
●移植には、ドナーが必要ですし、ドナーにも一定の条件が求められます。
又、レシピエントにも免疫力低下に対する様々な対応が求められます。
●何より、過去の移植事例の中には、不幸にして死亡に繋がった例もあります。
5000分の1と言われていますが、0ではありません。
最終的には、自己責任の世界です。
●望んでも、叶えられないケースも多々あると思います。
私が、お伝えしたいのは、透析にせよ、移植にせよ、
余りに情報不足で、知らないまま選択しているのが現状であること。
いずれの選択をするにせよ、
その方のその後の人生を左右する事になる以上、
十分な情報を得て選択して欲しいと言う事です。